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尾形 武寿 氏(日本財団 理事長)「町のコミュニティ再構築のために」

尾形 武寿 氏尾形 武寿 氏|プロフィール(2011年11月現在)詳しく知る

昭和43年 (社)日本舶用機械輸出振興会入会
昭和49年 (社)日本舶用機械輸出振興会ロッテルダム事務所 所長
昭和55年 (財)日本船舶振興会(現:公益財団法人 日本財団)入会
昭和61年  笹川平和財団 総務部長
平成 5年  (財)日本船舶振興会 総務部長
平成 9年  (財)日本船舶振興会 常務理事
平成17年 (財)日本船舶振興会 理事長

対談内容

祐ホームクリニック石巻開設にあたり大きな支援をいただいた日本財団。同財団は被災地支援にいち早く取り組んできました。被災地復興へ向けて、また日本全体として、町のコミュニティを再び構築していくために何が必要なのか。石巻の出身であり、このたび祐ホームクリニック石巻の開所式にも駆けつけていただいた同財団理事長の尾形武寿氏にお伺いしました。


今回、石巻で在宅医療を行うことを考えたとき、4つ課題がありました。1つは院長を誰にお願いするか、2つめは場所探し、3つめは資金をどうするか、4つめが診療所開設に伴う行政的プロセスです。通常は一番大変であろうと考えられる資金面は、日本財団さまに非常に早いスピードで支援を決めていただきました。それが後押しとなり物事が急速に動きだしました。
しかし最後まで残った課題が、院長でした。最初は、地元の先生が在宅医療をなさるために、私たちが診療体制の支援をするなどを考えていました。震災から3ヵ月くらい経過すると、被災された先生方の多くは石巻を出、勤務医になられるなど、なかなか院長を見つけることができずにいました。
使命感と共に多くの支援をしている日本財団さまから私たちの活動を認めてくださったことが大きな自信ともなり、最終的に私が院長になるという決断に至りました。
尾形 武寿 氏と対談01 震災が起こり、考えるよりもまず行動ということで、私どもは早々とこの町に入りました。もちろんここだけではなく、各地に赴き首長さんとも会い、私どもの支援策をお伝えし、実施してまいりました。当時は、緊急支援ということで、まず必要なものをというのが第一でした。
しかし6ヵ月経過すると人や町は安定し、次は、これからどうしていくのが良いだろうかと考えました。緊急時は明日をも知れない状況ですから、そうしたことなど考える余裕はありません。
しかし復興というのは、人の生活が始まってこそであり、いよいよこれからです。私どもの頭の中には常に、被災者一人ひとりへの支援を行うということがありました。今回、武藤先生がクリニックを新たに作り在宅医療を始めるという計画がまさに私たちの考える復興支援であり、やるべきであるという結論にいたりました。
尾形理事長は石巻のご出身ということで、いろいろ教えていただきたいと思います。私たちはまだ入口に立ったところです。全身全霊を込めてこの町の生活を支えていくという姿勢を具体的な行動で示すことで、いずれ地域に受け入れていただくことをめざしたいと思っています。
そこに至るまでには様々な困難も予想されますが、被災者である高齢者の方々を中心に、住民の方々に何をすべきなのか考え、頑張っていきたいと思っています。
実家はこちらで漁業をやっていますが、相当な被害も出ました。いとこが1人亡くなりましたが、他の親族は命を永らえることができました。生かされた者たちが、亡くなった方の分も含めて、この町の復興、未来の明るい町のためにどうするのか考え行動していかなければなりません。
そのためには、多くの方々の力が必要です。復興して明るい未来をつくるという一人ひとりの情熱が、助けてくださる方々を呼び、必ず未来は開けます。武藤先生は、この町の復興はもちろん、高齢先進国モデルとしての実証へも取り組まれ、「日本の進むべき手本が石巻にある」となってほしいと思います。
私どもは今後も支援をしていき、この活動が永続的に存続することを願っています。そして、これをベースに、次の世代、さらに次の世代へと広がっていくことを祈っています。
力強いエールをありがとうございます。今後ともよろしくお願い申し上げます。尾形理事長は、さまざまな事業展開をなさっていますが、これからの地域コミュニティのあり方をどのようにお考えでしょうか。
尾形 武寿 氏と対談02 戦後、都会の核家族化、集合住宅、生活習慣の変化などが原因かもしれませんが、高齢者や障がい者が遠ざけられ、町は健常者が住む世界となってしまいました。
小さい頃に、周りに高齢者や障がい者もいるという状況で価値観や人間性のバランスがとれていくのではないかという気がします。かつては大家族の中で、集団生活とは何か、人を敬うとはどういうことか、家族の中のヒエラルキーとは何かなど、自然と教わりました。
現代においてそうした日本人が本来持っていたものが失われつつあるのと危惧しています。そこで私どもが今行っているのは、町の中にデイケアセンターや授産所を作るということです。そこで古民家やシャッターが降りてしまった店舗などを改装して利用するなどです。また終末期も大きな問題となっています。病院で最期を迎えるのもいいですが、自分の家で、自分の町のそばで最期を願う人も多くいます。
昔は、町の医師が往診するのが普通の姿でした。そうしたことを核とした町の機能があり、お互いに見守っていくというボランティア精神も育まれました。例えば、田植えや稲刈りとなれば、村人が総出で助けました。赤ん坊がいればおばあちゃんが面倒をみたり、動けない高齢者がいれば隣の元気な高齢者が面倒をみたりと、村人の中にしっかりと信頼関係がありました。
人間は一人では生きていけませんから、そうした支え合いの地域社会を取り戻す必要があります。最小単位が家族、その家族同士がつながって町というコミュニティを形成していくということです。生活習慣や町の行事など共通する部分が多くあることで、コミュニティが活性してきます。私どもは、このように直接人の生活に寄与できる事業をしていきたいと考えています。
私たちも新しいコミュニティの創造に私たちの活動をもって貢献します。今後ともよろしくお願い申し上げます。
尾形 武寿 氏と対談04 私どもは被災地に足を運び、「やればできる」ということを世の中に示していくことが必要だと思っています。武藤先生の活動はまさに「やればできる」姿。当財団の方針にぴったり合っていますので、これからもぜひ応援していきます。
本日は貴重なお話をありがとうございました。

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武藤 真祐(聞き手)
武藤 真祐|医療法人社団鉄祐会 祐ホームクリニック 理事長 詳しく知る

1990年 開成高校卒業
1996年 東京大学医学部卒業
2002年 東京大学大学院医学系研究科博士課程修了
2010年 祐ホームクリニック開設
2011年 祐ホームクリニック石巻開設
内閣官房高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部 医療分野の取組みに関するタスクフォース構成員
みやぎ医療福祉情報ネットワーク協議会 システム構築委員会 委員
石巻市医療・介護・福祉・くらしワーキンググループ委員
経済産業省地域新成長産業創出促進事業ソーシャルビジネス推進研究会委員等公職を歴任

尾形武寿 氏と対談

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