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大竹 美喜 氏(アフラック 創業者・最高顧問)
「人間学」が新しい公共を生み出し、新しい国づくりにつながる

大竹 美喜 氏大竹 美喜 氏|プロフィール(2011年4月現在)詳しく知る

1960年 広島農業短期大学(現 県立広島大学)卒業後米国留学
1974年 アフラック日本社創業、副社長
1986年 アフラック日本における代表者・社長
1995年 アフラック日本における代表者・会長
2003年 アフラック創業者・最高顧問

対談内容

2011年3月11日に起こった東日本大震災は、多大な被害をもたらしました。亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災地の1日も早い復興を願っております。この大震災を日本人はどうとらえ、新しい国をどうつくっていくのか、日本で最初に「がん保険」という仕組みを生み出し、今新たな人材教育に取り組もうとされる大竹美喜さん(アフラック創業者・最高顧問)に語っていただきました。


本日は貴重なお時間をありがとうございます。私たちが考えている高齢者問題は本来20年くらいかけて進むと考えられていますが、今回の大震災では、それが短い時間の中に凝縮されたように思います。
大竹 美喜 氏と対談01 当社のアソシエイツ(代理店)は約2万店あり、そこには約11万人の人に働いていただいており、福島県、宮城県、青森県の太平洋沿岸にも数多くいます。
しかしまだ安否の確認がとれない方々もあり、必死に探し求めていますが連絡がつきません。早く連絡が取れることを願っております。今回の大震災は、阪神淡路大震災と比べて規模は大きく、復興にはかなり手間取るのではないかと思います。
日本の2000年の歴史をひも解いてみると、火山噴火、地震、台風や雪害など天変地異が多いなかで、日本人は特有の風土、国民性を作ってきました。今回は、また新しい歴史を作っていく出発点かもしれません。その中で、くじけない精神構造、秩序を乱さない国民性は高い評価を得ており、日本人の誇りでもあります。
今回あらためて、地縁が重要だと思いました。血縁、コミュニティ、地域の中での家族との連携などが、最終的に人を救うのを目の当たりにしました。自信を失っていた日本人は、この大きな大きな犠牲を受け、もう一度団結し新しい社会の創造に向け力強い歩みを示すときだと思います。
「天の時、地の利、人の輪」が今重要なのです。天皇陛下もメッセージを発せられ、国民は勇気づけられました。みんなで支え合う、いたわり合うということはすごいことです。
困難なときをどう乗り越えていくのか、乗り越えるための信念はどこから生まれるのか、がん保険という日本初の仕組みを作られた大竹さんのご経験を伺いたいと思います。
大竹 美喜 氏と対談02 福沢諭吉の弟子である阿部泰蔵が興した明治生命保険会社が、日本で最初の生命保険会社です。しかし、日本の生命保険は死亡や怪我に対するもので、生き続けるためという考え方がありませんでした。
公的医療保険は、経済成長率が3%継続するという前提で、人生が60歳とか70歳で終わるという数値をもとに作られました。この前提は崩れることが予想されていたため、医療保険の部分を民間が補うべきではないかと考えたのです。
官と民が支え合うという考えを申し上げたのですが、なかなか認めていただけなかったので、まず、がんという特定疾患から入りました。そして今アフラックは、医療・介護全般にわたって民間の立場で、いわば民間厚生省としての役割を担わせていただいているのではないかと思っております。
現在、保険金・給付金は1営業日あたり平均12億円お支払いしています。創業以来、累計のお支払件数(証券単位)は2、109、705件、累計お支払い金額は4兆6、811億円になります。(平成21年度現在)。
実は、私がアフラック創業に奔走していた当時、時の総理大臣田中角栄氏から「とにかく民間厚生省の役割を担ってくれ。公的な医療制度や年金制度、社会保障制度は崩壊するから」と言われ励まされたのです。
当時と言えば、日本が右肩上がりで伸びているときですよね。
そして今、創業37年目です。当初は誰も挑戦したことのない分野で、道なき道を切り開いていくのは苦難の道でした。いかがわしいことを始めたと言われ抵抗もあり、認知されるまでには15年、20年かかりました。
今はお陰様で高い評価をいただき、昨年度もわが社は、対前年比2ケタ成長をさせていただきました。 アフラックは生命保険会社という名前がついているので、他の生保と同じと考えられがちですが、私たちは生命保険というより「健康保険」の専門会社であるため、「生きるための保険」を提供させていただいております。
今でこそ、官と民が共同して行うことが求められている時代ですが、当時は官が巨大でしたよね。
明治維新以前、以降、今もそうかもしれませんが、官が9割で、民は1割しか発言できない、行動できないという状況です。国の役割を小さくし、民を信じて民の役割を拡大していただきたいと思います。
そうすると、日本は素晴らしいイノベーションが出てきます。活性化して、全く様変わりするでしょう。今回の大震災からもわかるように、日本人は制度を悪用する、はしたない行動をする民族ではありません。
民をより信頼して任せるという方向へ進んでいただきたいです。すべての分野で私のような人間がたくさん出てきてほしいのです。
大竹 美喜 氏と対談03 普通の人なら、想いはあってもくじけて止めてしまうかもしれない状況で、大竹さんが突き進んでこられた原動力は何だったのでしょうか。
私は高校生の頃、強い信念と使命感をもち、農民や貧民を全力を尽くして救う活動をした大原幽学の『幽学全書』を読み漁りました。こうした生き様を体現したいと願ったのは、精神的支柱を持ち合わせていたからだろうと思います。
私も高校時代に『十八史略』をはじめ中国の古典をかなり読みました。そこには、人間の美しさや醜さが凝縮されていました。
武藤先生のおっしゃったものも含めて、私は「人間学」という講座を始めようと思っています。5歳から10歳くらいで古典などを暗記してもらうと、意味はわからなくても、後から効いてくるのです。
私は10歳の頃、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』を暗記しました。そういうものが人間形成に影響を及ぼしているかもしれないと感じます。
多感な年代だから、全部吸収されていらっしゃるんですね。私は幼い頃より両親に「世のため人のためになる仕事に就け」といわれ育てられました。
こうした教えが保険の仕事へと結びつきました。保険・アフラックはお支払いするための会社です。ですから今回の震災でも、1日でも早くお支払いすべく全社を挙げて取り組んでおります。
そしてこれが私の天命だと思いました「宿命に生まれ、運命に挑戦し、使命に燃える」この言葉は故小渕首相が私に贈ってくださった言葉なのですが、この言葉が好きです。
生まれる場所は自分で選べるわけではなく、運命は挑戦することで乗り越えられ、使命に燃えれば燃えるほど人生は充実します。 私の人生を振り返ってみましても、アフラックを創業する35歳までいろいろな回り道をしました。今、71歳ですが、充実した人生だと思います。
人には天命があります。何のために生まれてきたのか ―を深く考える人間教育をすることが、残りの人生で私が行うことです。それを人間学と称しています。 私はこれまでリーダー養成のため、高校生、社会人を対象とした塾を開催してまいりました。
毎年夏には高校生のためのリーダー養成塾を開催しており、この塾はこのたび認定特定非営利法人として認定を受けましたので、より積極的に活動してまいりたいと計画しております。同時に「人間学」について全国で学んでいただくような仕組みも考えております。
まさに政府が提唱する「新しい公共」ですね。民間厚生省に続き、今度は民間文科省ですね、すごいことです。
大竹 美喜 氏と対談04 新しい公共とはまさに市民型社会の到来を意味しています。市民が一人ひとり市民の役割を担っていかなければなりません。
7〜8割は私たちの力で解決し、残りの2〜3割を国家が最後に支援すればいいといいうのが私の考え方です。一人ひとりに役割があるはずですが、それを与えていないのが今の日本です。
近代国家の形だけ作り精神が宿っていませんし、制度も不十分です。ここを早く補わなければなりません。今回の大震災は、一気にいい方向へ変わるきっかけだと思います。平時ではなかなか難しいかもしれません。
今回の大震災は、日本の近未来の医療の姿を示したと感じます。病院医療は病院という箱がなければできませんが、高齢者が増えると病院では診きれなくなります。病院の外で同じような安心をどうやってできるかということです。しかも高齢者や介護にあたるご家族の視点で、トータルに行わないといけません。
人間は複雑にできていますから、先生の一言で気力を取り戻し、いい方向へ行くことが多くあります。暖かいぬくもりの交換ができると、日本人として、社会構成員として恩返しをしようという気になります。これを新しい公共が求めているのではないかと思います。
医療は究極の公だと思います。医師の言葉はもろ刃の剣であり、その人の人生の解釈さえ変えかねません。
感性を磨くことで、理の世界と情の世界のバランスをとることができます。感性が鈍ったことで、こうした社会になってしまったので、今回の大震災で、そこが認識されると思います。
楽観主義かもしれませんが、この国はいい方向へ向かうと確信しています。武藤先生にはいくつかの区でロールモデルを作っていただけるとうれしいです。日本の新しい医療を作り、その輪を広げていただきたいと思います。
被災地の1日でも早い復興を願うとともに、日本全体が新しい第一歩を踏み出すことを期待します。本日は貴重なお話をありがとうございました。

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武藤 真祐(聞き手)
武藤 真祐|医療法人社団鉄祐会 祐ホームクリニック 理事長 詳しく知る

1990年 開成高校卒業
1996年 東京大学医学部卒業
2002年 東京大学大学院医学系研究科博士課程修了
2010年 祐ホームクリニック開設
2011年 祐ホームクリニック石巻開設
内閣官房高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部 医療分野の取組みに関するタスクフォース構成員
みやぎ医療福祉情報ネットワーク協議会 システム構築委員会 委員
石巻市医療・介護・福祉・くらしワーキンググループ委員
経済産業省地域新成長産業創出促進事業ソーシャルビジネス推進研究会委員等公職を歴任

大竹 美喜 氏と対談

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