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石巻ではたらくということ ドクターメッセージ

林 健太郎 氏林 健太郎 先生|プロフィール(2012年5月現在)詳しく知る

2000年 琉球大学医学部 卒業
2002年 日本医科大学高度救命救急センター所属
2004年 国境なき医師団加入
2007年 オランダ王立熱帯研究所・コペンハーゲン大学・ハイデルベルグ大学留学
2010年 国境なき医師団日本 理事
同年   国際人道支援団体「裸足醫チャンプルー」設立
2011年 日本プライマリ・ケア連合学会 東日本大震災支援プロジェクト(PCAT)コーディネーター就任
同年   東日本大震災被災地における地域の医療を守る会(T-RELIFE311)を設立
現職  日本プライマリ・ケア連合学会 東日本大震災支援プロジェクト(PCAT)コーディネータ
    東日本大震災被災地における地域の医療を守る会(T-RELIFE311) 代表理事
    裸足醫チャンプルー(Barefoot Doctors OKINAWA)代表理事
    国立保健科学院客員研究員

石巻を、東北を、日本を、世界を創りましょう

祐ホームクリニック石巻と林健太郎医師との出会い

祐ホームクリニック石巻と林健太郎医師との出会い012011年9月に在宅医療専門の祐ホームクリニック石巻が開設され、8ヵ月余りが経過した。東日本大震災直後の石巻市の惨状を目の当たりにした武藤真祐医師は、石巻市での高齢者支援を素早く意思決定した。クリニック開設準備や開設後の運営は、地元や全国からの多くの支援によるところが大きかった。その支援者の一人に林健太郎医師がいる。


林医師は、30歳で国境なき医師団に参加し、世界の紛争地、災害地、貧困地帯での医療支援活動をしてきた国際保健分野のプロフェッショナルである。自ら「裸足醫チャンプルー」という団体も立ち上げ、ミャンマーの天然ゴム樹園労働者マラリア予防事業やイラクにおける自爆テロによるやけど治療事業などを行い、学術的な情報を発信するなど精力的な活動をしている。その思いは、「医療と生活と平和」である。 東日本大震災においては、日本プライマリ・ケア連合学会が立ち上げたPCAT(日本プライマリ・ケア連合学会 東日本大震災支援プロジェクト)のコーディネーターとして、医療支援施策の企画・推進を最前線で行ってきた。


石巻市で医療や介護を必要とする高齢者支援をどう進めていくかが検討されたときも林医師は参画した。

「気仙沼では巡回療養支援隊を立ち上げ、在宅医療型の支援活動を行いましたが、石巻では救援体制が整っていないことから、大きな避難所にケアの必要な高齢者を集める一極集中型となりました」 と、介護福祉避難所「遊楽館」立ち上げの背景について語る。


しかし、避難所はずっと継続するわけではなかった。閉鎖後の石巻市内での継続的ケアの必要性が懸案であった。このとき林医師は、武藤医師が石巻市内で在宅医療を展開したいという企画に出会ったのである。

「武藤先生の企画書を見たとき、『これだ』と思いました。これなら石巻市内で在宅や仮設住宅での継続的ケアは可能だと思いましたね」 と、当時を振り返る。そして、武藤医師のクリニック開設への後押しをしたのである。


「困っている人を助けたい」という思いが被災地支援へ

今回の大震災でもそうだが、被災地へ赴く医師は、「被災者を何とか助けたい」という強い思いが根底にある。医師は、困っている人を助けたいという本能的なものを持っているのだ。そして現地で活動をする中で、様々な気づきを得ることになる。


祐ホームクリニック石巻と林健太郎医師との出会い02 「医師を被災地支援へ突き動かす思いは、まず被災者を助けたいということです。しかし実際に現場に入ると、医師としての自分を振り返ることになります。新しい気づきや学びがあります。私も、武藤先生の替わりに(祐ホームクリニック石巻で)1日患者さんを診るだけでも、自分を振り返り、また新しいアイデアが浮かんできます。これは貴重な体験でした。」 と語る林医師は、PCATとして同クリニックの人材サポートを行ってきた。


「地元に人材がいないこと」による、クリニックの常勤医師確保が課題となっていた状況と、PCAT支援活動の第二ステップが合致したからだ。

「PCATの支援活動は、最初の半年は助成金で行ってきましたが、次のステップとしては、地元の経済循環性に乗った支援活動でなければ継続性が保てません。これは海外での支援活動をしてきた経験の中から得た知識です。


武藤先生のクリニックは、その経済循環性が成り立つものでした。場所、建物、お金、地域との関係性など全て揃っているので、安心して医師を預けられると思いました」 と、長年の経験に基づく医療支援のあり方を語る林医師は、最初、後期研修医を派遣することにした。


「被災地の患者さんは、ある意味スーパー患者で、医師が全力で診療にあたらなければならない、スーパー患者です。WHOは『社会的・精神的・身体的にいい状態(well-being)』を健康と位置づけており、医師が健康を人々に供給することが使命であるならば、その3つに悩まされる被災地の患者を診るのはその象徴であり、医師として必ずどこかで通らなければならないことです。


看取りについても、その人の死生観に関わるところまで踏み込む必要があり、語り合う、触れ合う、ときには共有し合うことも人間の健康に関わるということです。被災地での医療は、医師としてのあり方をもう一度見つめ直すきっかけとなります。そうしたことから、医学部を卒業して、2年間の初期研修を終え、今後どのような医師人生を歩み出すか、考える時期にある後期研修課程の若い医師には経験してほしいと考えたのです」


しかし、後期研修医を派遣した初めの1ヵ月。立ち上げたばかりの同クリニックで、後期研修課程の医師が一人で考え決断しなければならないことも多く、少々厳しい面もあると感じたという。


思いを医師としての経験につなげる

実は、ここに大きなポイントを見ることができる。

祐ホームクリニック石巻と林健太郎医師との出会い03 祐ホームクリニック石巻は、もちろん単独で存在しているわけではない。石巻赤十字病院があり新生する石巻市立病院との連携の可能性がある。それは患者を中心とした連携以外に、若い医師が全国から石巻に来て仕事をするための受け皿を整備することで、医師が循環していく可能性が高いということを意味する。 「石巻赤十字病院に、武藤先生がつくっている在宅医療システムを利用しながら教育面をお願いして、医師の臨床教育でのブランディングができるといいのではないかと思っています」(林医師)


祐ホームクリニック石巻で短期の仕事をすることは、医師にとってもちろん大きな意味がある。急性期病院から短期で来た若手医師たちは、「価値観が変わった」と述べて帰っていくという。


同時に、1~2年常勤医としてそこで働くことの意味はさらに大きなものになると林医師は指摘する。

「1~2年というタームで働くことは、毎回同じ人が訪問診療してくれるということで、被災者の喜びは大きなものとなるでしょう。同時に医師は、ストーリーとして全体を見ることができ、自分の学びや考えが深まることにつながります。ある一面だけに触れる短期の経験とは違ったものが必ず得られるはずです」


医師としての糧となるトレーニングを積むと同時に、1~2年の常勤勤務の中で、石巻の地域で何をつくったのか、被災地の復興にどういう貢献をしたのかという実績が、その医師のキャリアになるだろう。


やるべきこと、できることがまだまだたくさんあるのが石巻だ。今後も祐ホームクリニック石巻に密接に関わっていく林医師のサポートは、被災者を助けたいと思って働こうと考える医師には心強いものとなる。


最後に、林医師は、全国の医師に熱いメッセージを贈ってくれた。

「石巻を、東北を、日本を、世界を創りましょう」


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